流れゆくあの日常
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わたぬけ

Author:わたぬけ
京都の某大学に通うしがない学生。
趣味は読書と音楽と小説を書くこと。
ちょっとピアノも弾けたりする。
でも何もかもが中途半端さ^^



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最近読んだ本のレビュー的なもの
 この一週間死ぬほど忙しかった。そのくせ授業中にこそこそ本を読んでたら、なんと一週間に3冊という異常事態が発生してしまいましたとさ。

・西に魔女が死んだ(梨本 香歩)
・朝には紅顔ありて(大谷 光真)
・Q&A(恩田 陸)

 あれ? 「ティファニーで朝食を」は?
( ^ω^)……

 以下重大なネタバレを含みます。構わない方のみどうぞ。
西の魔女が死んだ (新潮文庫)西の魔女が死んだ (新潮文庫)
(2001/07)
梨木 香歩

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 ここのところズーンとくるような重い作品ばかり読んできたので、ふとこういう優しい気持ちになれる軽い小説を読んでみたくなった。反動ですかね(笑
 この作品に興味を持ったのは、近日映画化されるという帯にも惹かれたため。
 本屋のランキングでもかなりの上位を占めるし、映画化もされるし、そんなに良い作品なのだろうかと思って読んだわけです。

 で、遅読に定評のある自分がまさかの二日読了
 まあ文字も普通の小説に比べて幾分大きかったですし、読みやすかったのもあるかな。

 簡単なあらすじとしては、主人公「まい」はある日学校で緊急の呼び出しを受けて早退し、「西の魔女」である母方の「おばあちゃん」が亡くなったことを聞く。
 ショックを受けながら、まいは数年前におばあちゃんと一緒に過ごした日々を思い出す。
 おばあちゃんの家に着くとまいは、彼女自身も忘れかけていたかつておばあちゃんと交わした約束が意外な形で果たされていることに気づく。

 自分がどうしたいか、自分はどうなりたいか、そういうことは自分で決める。物語では終始このメッセージが投げかけられている。
 人間は人間である限り、人工的なモノに囲まれ、人工的なモノに生活を支えられて、言い換えれば支配されて生きている。
 例えば私が自宅から大学に通うにしても、まず朝「携帯電話のアラーム」でたたき起こされ、簡単な朝食を済ませた後(朝食を作る暇がないときは「店」で「お金」を出して買う)、駅で「定期券」を使って「電車」に乗り、到着したら大学前の「信号機」の変化で駅から大学までの道を歩くか走るかを決める。
 もっとあるだろうが、少なくとも朝の通学という事象においてさえ、これだけのことが言える。そもそも「通学」「通勤」といったものさえ、広く言えば人工物なのだ。自然のまま生きていれば「通学」も「通勤」もそもそもする必要がない。
 とはいえ、現実的に考えて私たちは人工物に支配されないと生きていくことが出来ない。
 この「西の魔女が死んだ」はそういった人工物に支配されて生きていく私たちに警鐘を鳴らしてはいるが、そういう生活を決して否定はしていない。
 ただ、昔のように自然とふれあって生きる、自然に任せることも大切だと言っているのだと考える。

 この物語は自然とふれあって生きる象徴が「おばあちゃん」であり、逆に人工物に支配される生き方の象徴は「ママ」なのだ。ちょっと語弊のある言い方になってしまったが前述したようにこの本は「ママ」の生き方を否定していない。

 問題は「人工物に支配されて生きる」ことでも「自然とともに生きていく」ことでもない。一番のメッセージはいかに「自分自身を保つか」なのではないだろうか。
 おばあちゃんの家の鶏が謎の獣にかみ殺され、その犯人としてまいはゲンジさんの家の犬を疑う場面で、まいはしだいに「ゲンジさんがあの犬をけしかけたのだ」という疑心にまで発展していく。
 そんななか、おばあちゃんはまいにこう言う。
「直感にとりつかれてはなりません。そうなると、それはもう、激しい思いこみ、妄想となって、その人自身を支配してしまうのです」
 この言葉には私自身もハッとさせられた。
 恥ずかしながら、私は優柔不断のくせして、自分の中にある直感を信じ込んでその結果失敗を起こすということがしばしばある。
 それで傷つくとが自分だけならいいのだが、他人にまで及ぶことも少なくない。
 「直感にとりつかれ」ないようにする。それは難しいことだろうと思う。だが少しずつ抑えていく努力は出来るのではないだろうか。

 他にもこの「西の魔女が死んだ」には素敵な要素が満載なので、おすすめする。




朝には紅顔ありて朝には紅顔ありて
(2003/04)
大谷 光真

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 宗教家の著作やスピリチュアル系の本というのはこれまでも何度か読んできたが、そのほとんどが突っ込みどころを満載で、押しつけがましい独善的な意見にまみれている。
 かの細○数子氏や江○啓之氏なんかその代表的な例である。
 著者である大谷 光真氏は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の門主、言うなればトップ(天台宗で言えば座主といったところか)で、法名は釈 即如。
 宗教家の本というと、「要するに入信しなさいと言ってるんでしょ?」とか「偽善ぶった意見だらけなんでしょ?」といった声が聞こえてきそうだが、私の読む限りこの本からはそのような押しつけがましいようなことは書かれていなかった。ちょっと浄土真宗のことも語られてはいるが、そういうときも「私どもの宗派は」とか「私どもの場合は」とへりくだった調子で語っている。
 Amazonのブックレビューでは「無宗教の私でも座右の書にしたい」といった意見まであったほど。
 ちなみに題名の「朝には紅顔ありて」の「朝」は「あさ」ではなく「あした」と読む。

 本書の中で私が特にズキンと来たのは三章目「人は誰でも、自分に都合よく生きようとするものです」の中の「憎しみも怒りも、元をただせばあなたの欲望です」の題目に書かれていたことだ。
 少し引用させて頂くとします。

【もし、自分は正しい、自分は善だという気持ちがなければ、憎しみの炎というものは燃え上がらないものだと思います。
(中略)
たとえば「私は、今の世の中に怒りを覚えます」という方がいるとしましょう。(中略)なぜ怒っているのか、ということを冷静に考えてみますと、何かの原因に端を発して、あなたが「こんな世のなかでいいわけがない」と考えていることがわかります。つまり、あなたの考えとそう反することが今の世のなかに起きているから、そこに怒りを感じると言えるのです。】

 ご覧になった方は分かるだろうが、私はここのところ立て続けに日本体制や中国の体制を批判する(というよりも愚痴る)文章を掲載してきた。私はそのことが間違っていたとは今も思っていないし、これからも書き続けるだろうと思う。
 しかし言われてみればそうだ。私がこのような批判文を書いてきたのは自分の考えが正しいと思っていたことが大きい。もちろん他の要素もなくはないのだが……。
 根本には「自分ならこうする」「こうすればああなるのに」という自分勝手な考えがあったと思う。
 この本には実践することが現実的に困難なことも多少書かれてはいるが、大切なのは「実践するか否か」ではなく「そういう心を持った自分に気づかされる」ことではないだろうか。少なくとも私にはそう感じた。



Q&AQ&A
(2007/04)
恩田 陸

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 恩田 陸氏の小説には魅力的なモノが多く、中でも私は「球形の季節」という本を愛読してる。
 この「Q&A」というのは描写文が一文字たりともなく、最初から最後まで問答形式、あるいは会話形式で進んでいく。その珍しい形式にも惹かれたのかもしれない。
 で、遅読に定評のある自分なのですが、まさかの買ったその日に読了。
 うはw 長編小説を買ったその日に読み終わるなんて生まれて初めてだw

 あらすじを言うと

 東京の郊外にある大型商業施設で突如、死者六十九名、負傷者百十六名の大惨事が起きた。しかし火災が発生したわけでも、毒ガスが発生したわけでもない。死傷者は全て人々が逃げまどう中であまりの人混みで圧死したり、階段やエスカレーターから降りようとして誤って落下したものだった。
 
 サスペンスものは好きだが、この作品には恩田氏お得意のホラー要素も含まれている。とはいえ、なにか超常現象が起きて、それから人々が逃げまどっていたというものではないが。
 
 読み終わった直後の感想なのだが、私は何か説明しようのない「恐怖」にかられた。ホラー小説などは読んだことないのだが、小説を読んでここまで大きな「恐怖」にかられた体験は生まれて初めてである。あまりの恐ろしさにその日、夜にトイレに行けなくなったほどだ。笑いの種であろうが、本当に私は真剣に恐怖を覚えたのだ。
 この「恐怖」がどこからきたのか私自身分からない。ただこれだけは言えるのではないだろうか。
 「この本には誰もが『自分のことだ』と思い知らされざるを得ない何かがある」と。だからそれを思い知らされ「恐怖」を感じた。
【みんな変わるきっかけをほしがっている。誰か変わるきっかけを作ってくれる人がいたら、その人に従うんだ】
 こういう感じの言葉が本書中に出てきたが、これは今の日本人に大いに当てはまるように思える。
 自分一人だけでは、「周り」を気にしてなにも行動しない。逆に「周りが行動している」なら自分も行動する。なんでもかんでも他人の目を気にするのは、日本人の良いところでもあり、また悪いところでもあるだろう。
 昨今、「日本人にあった『恥の文化』が近年失われつつある」という声を聞くが、私としては半分正解で半分不正解だ。
 飽くまで私個人的な意見として言わせて頂くと「『恥の文化』の悪い部分ばかりが受け継がれている」のだ。
 昔は「こんなことをやらかしてしまって恥ずかしい」「こんなことをして世間様に顔向けできない」と、自らを戒めることに『恥』が使われていたように思える。しかし現在は「みんなと違うことが恥ずかしい」「みんながやるから自分もやる」と「戒め」よりもむしろ「ただ流されている」だけのようにしか思えない部分でのみ「恥の文化」が残ってしまっている。
 この「Q&A」にはそういった「恥の文化」の悪い部分のみが残ってしまった現代人の集団的猟奇性が妙実に描かれている。
 商業施設で起こった「出来事」によって逃げ惑った人々の大部分が「みんなが逃げていたから、自分も逃げた」と証言しているがそのことを証明している。
 これはなにも日本人だけに限ったことではないが、「恥の文化」に長年支配されている日本では特に「起こりそう」な出来事だ。
 だからみんなが「変わるきっかけを作ってくれる人」を待っているのだ。「変わるきっかけを作ってくれる人」このあたりのやり取りを読んで、なぜか唐突に「涼宮ハルヒの憂鬱」を思い出した。
 まだ第一巻しか読んでないからなんとも言えない部分も多いのだが、主人公の「キョン」もヒロインの「涼宮ハルヒ」もこの「変わるきっかけを作ってくれる人」をお互いに無自覚に求めていた。キョンもハルヒも「変わるきっかけを作ってく」れたお互いに従ったわけではないが、「Q&A」にはこの「涼宮ハルヒの憂鬱」に深く通ずるものがあるのではないか。そう思われてならない。
 私の口からはうまくいえないのだが、この「Q&A」を読んだ後は、少なくとも不思議ななにか「煮え切らない」気分になるのではないだろうか。もしそのような気分になったら、あなたはこの「Q&A」に少なくとも「自分に通ずる何か」を感じたのではないだろうか。それも自分自身が認めたくない何かに。
 少なくとも私はその「認めたくない何か」を本書のうちに思いっきり感じ「恐怖」を覚えるにまで至ってしまったのである。
 

テーマ:ブックレビュー - ジャンル:小説・文学


この記事に対するコメント
丁度西の魔女読もうとしてたww

わたぬのレビュー読んでなおさら読む気が出てきた。
テスト終わったら早速読むぜ!
【2008/05/21 15:00】 URL | でりでり #Qdwr4Fto [ 編集]

マジレスすると梨本 香歩は間違いとかそんなこといいたいけど個人的には「西の魔女が死んだ」よりも「からくりからくさ」の方が好きです^^
【2008/05/21 21:02】 URL | 氷飴 #u2lyCPR2 [ 編集]

でりでりさん>

 おお、あなたも西の魔女が死んだを読むつもりですか。自分の文章でどれだけ伝わったかちょっと不明ですがwそう言って頂けると嬉しいです。
 テストもがんばってくださいな。


氷飴さん>

 「からくりからくさ」ですか。今度機会があったら読んでみようと思います。紹介どうもです^^
【2008/05/22 22:55】 URL | わたぬけ #uGSp1EQw [ 編集]


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